2020/2/9

ある休日の午後、コーヒーチェーン店のカウンターにいた。

日が暮れる前に犬の散歩に行こうと、目の前にいた女性の店員さんにご馳走様でしたと声をかけると、いつもありがとうございます。とにこやかに言われた。

無論、その店は初めてである。

妙な笑顔で曖昧に応えたような気がするが、席を立とうとした瞬間に「今日は何されたんですか」という言葉が振りかけられた。本当にふりかけみたいに1文字ずつパラパラと自分に落ちてくるようだった。

今日は何してた?何してたってピラティスに行った帰りにここに寄ったんだけどそういう事を聞いてるのか?なんか恐いな、違う気がするぞ。そもそも常連であろう人と間違えているはずで、もしその人からピラティスなんて単語が出た事なんて一度も無かったとしたら?この店員さんが私も行ってるんです!とか、よく聞かれるこの質問、ピラティスとヨガってどう違うの?ってやつ!こんなカンバセイション始め出したら後々本物がいつも通り店に来た時に、今日もピラってきたんですかなんて話になったらそこから世にも奇妙な物語の始まりである。いやいやそんな事よりもだ、すっぴんでオーバーオール。そんな女と間違われるような人がいるってあーた。そっちに興味あるわね。ちがうちがう、早く答えなければ!!!!

「あ、デカフェにされたんですね。」遠くから声が聞こえてきた。このお店は飲んだコーヒーの詳細が書いてあるカードを一緒に渡してくれるのだ。

あ、そっち。危うく隣で勉強している女学生に一瞥を見舞われるところだったワ。実はこの少し前、こちらが挽いた豆です、よかったら香ってみて下さい。と私が頼んだコーヒーの粉が入ったコップを手渡されていたのだが、とてもいい香りを感じただけの私の脳みそは、まるで波一つ立たぬ穏やかな湖面のように何の感想も生み出す様子がなかった。そんな脳にヤキモキした唇がこれが私のコーヒーになるんですかぁ。と焦り勝手に行動した為、恥を晒したところだったのだ。

ずっと変な顔をしていたから、多分あの店員さんには前半の時点であ、この人知らない人だ、とバレていたように思う。

私は本当に会話が下手で、前述のような気持ち悪い瞬間を死ぬ程繰り返して来ており、その度にその帰り道はまだしも、数年前の出来事までも思い出しては後悔とは少し違う何とも形容し難い思いを巡り巡らせ続けている。

また、例えば会話がある程度のスピードに乗って進んでいて、私の言葉に対して返してくれた内容が、ちょっと間違って伝わっているな、とかそういう事じゃないんだけどな、と感じてもそこで私はその会話を止めることができない。というか止め方が分からない。折角膨らんできた風船をしぼませるのがとても悪い事のように感じてしまう。それが初対面でも、身近な人でも関係ない。

ただ、私は会話下手だが人見知りではない。そのせいで頭の中は言葉がぎゅうぎゅうに詰まっており、子供の時の写真が眉間に皺を寄せているのばかりなのは、めちゃくちゃ考えている顔だったんだと今になって思う。

【会話下手だが人見知りではない】まま成長した理由は、うちの家が会話のとても少ない転勤族だったから。という答えに行きついている。小学校なんて5つも変わった。父親は仕事があるからどうだったか分からないが、少なくとも母と私と妹は暮らしや人間関係に合わせにいく事に日々従事していた。

しかし。こんな歳になってもまだ親のせい環境のせいにしていては阿呆のまま死ぬのみの、腐れ外道。私はこの3年程で思いを口にできるようになってきた。勿論、意識的にそうするようにしているし、モデルの仕事でもオーディションでは必ずと言って良いほどカメラ前で(時には多勢の目の前で)自己紹介をしなければいけない。更に、身近にお喋りな人がいれば黙っている訳にはいかないだろう。

子供を持ったことがないから人間がいつから喋り出すのか知らないが、仮に3歳位からだとすると小学校1年生位の語学力か。伸びしろがベロンベロンと続いているではないか。あっぱれ。

私は他人が何を考えているかいつも知りたいと思っていた。それが面白い事に自分が話せるようになるとそれを知る事ができるようになったのだ。なんだ、そういう仕組みだったのか。

私かに憧れている人がいる。国際政治学者の三浦瑠麗さんだ。テレビで時々コメンテーターをされているのを見掛けると、その話す姿にいつも見惚れてしまう。言葉で頭の中がいっぱいで脳味噌が小匙1しかない私は瑠麗さんから聞こえてくる音を聞いているばかりだが、かっこいいなぁ、朝はパン派かなぁ。話してみたいなぁ。その時は子供の頃の話でもしようかなぁ。と、またぎゅうぎゅうさせてしまう。

そうだ、私はピカピカランドセルの小学校一年生なのだ。まだまだ憧れの人と話せるチャンスはありそうだ。

野菜と果物でぎゅうぎゅうのトラック。私の頭はこんなに整頓されていない。