2020/4/13

2月の終わり頃、渋谷のPARCOで行われた糸井重里さんと小泉今日子さんのトークイベントに行った。

生キョンキョンの輝きは言うまでもなく、キュートで気怠いあの声が心地よく、糸井さんは本当に言葉の海みたいな人だった。初めて聞く言葉の表現がわんさか出てきて私は体全体であんぐりを体現していた。

その中で糸井さんがキョンキョンについて、小泉さんは書き言葉のように喋るから凄い。自分の言葉で話しているよね。と言った。

それからずっと、自分の言葉ってどんなだろうと考えている。

月夜に提灯というこのような場所を持った限り、かっこいい文章を書くのだ!まだ生き生きとしたピンクの椿が、アスファルトにぼとりと落ちている場面に出会した時のような、あの一瞬のショックと美しさを表現するのだ!安吾にも三島にもページをめくることができない程の表現で突き刺されたじゃないか。あんな風に!

かっこいい文章には難しい言葉が付き物っしょ!!!!

私は読んだ本で分からない言葉があればとりあえずそのページの上を小さく三角に折って、ある程度溜まったら意味を調べて手帳に書き出している。例えを挙げると

『透徹』とうてつ…筋が通っていて曖昧な点が無い事。〜した理論。

『胡乱』うろん…怪しげで信用できない様子。〜な噂。

宣言したい。一つも使わないのである。

というか、調べて書いた側から忘れているから【使えない】のである。

自分の言葉じゃないから浮かんできやしない。

18歳位の頃、表参道を歩いていたらファッションスナップ雑誌の人に声を掛けられた。靴特集をしてるから写真を撮らせてくださいと。その時私は下北沢で買った足の甲の部分に黄緑色のボタンがいくつも重なり合うようにびっしり縫い付けられているデザインのサンダルを履いていた。あの頃の表参道はスナップ写真を撮られる為にファッションゾンビズがクールな顔を決め込みウロウロしていた。それを勿論知っていた私は嬉々としてそれを受け入れた。そして簡単なアンケートの用紙を渡された。ニックネームや年齢、その靴を購入した場所、そして最後にそのアイテムのポイントを書く欄があった。私はそこに「ボタンいっぱいなところ」と書いた。

後日その雑誌が発売され、小さい私の全身写真と足元のアップ、アンケートの答えが片隅に載っていた。私の家にやってきた当時の彼氏に自慢げに見せると、「ボタンいっぱいなところって・・ハ・・見たまんまじゃん」と小馬鹿にされた。そしてにわかに残念そうな顔をしていたのを見逃さなかった。

うん、それは書いた時点で気付いてたの。そして、白状します。本当はボタンいっぱいなところ♡って書きました。そのまま載っていました。

ずっと恥ずかしい。ずっとスベっている。なぜ若さというのはこんなにも恥を撒き散らすのか。なんだその気持ち悪いサンダル。買うなよ売るなよ作るなよ。フッションゾンビズに捧げる非恥三原則である。

実のところ、私の自分の言葉というものが本当は、ボタンいっぱいなところ♡なんじゃないか、と怯えている。

一昨日テレビで見た亡くなった志村けんの事を話すビートたけし。

YouTubeで見たRage Against The Machine。

毎晩お風呂で読んでいる又吉直樹の本。

皆んな自分の言葉だった。顔を歪め目を閉じ叫び跳び背を丸めよれた服を着て筋肉の筋を浮かせ綺麗な指先で突き刺してきた。

自分の言葉とそうじゃない言葉はすぐ見分けがつくんだ。

あれ、そういえば、格好つけているのがバレているのが1番ダサいと常々思っていたじゃないか。難しい言葉を並べ浅い悦に心酔するより表参道を踏んで歩いた黄緑ゲロサンダルの方がマシな気さえしてくる。

糸井さんが言った自分の言葉という意味は真剣な顔で考えあぐねるものではなかった。

余計なものを持ち込むな。

それが格好いい。

あぁ結局かっこいいを欲しがってしまう。心底恥ずかしい。

お腹が減った。どんな時でも腹は減るからアホみたいだ。