私にまたこの時間が巡ってきた。
段々と訪れるのが遅くなった宵の時間は、昼間の熱を持った空気から紫やオレンジの夕焼け色した風が凪ぐ姿に様変わりしている。
並ぶ家々からは夕飯の準備や潤沢に水が使われる風呂場から漏れ聞こえる様々な生活音。香ばしく焦げる醤油、トマトを煮る酸味のある香り。四角く切り取られた灯り。
何ら変わりのない日常の姿をしているが、やはり毎日違うものだと思う。よく食卓にのぼる野菜炒めも調味料が変わっていたり、もやしをシャキッとさせるひと工夫が加わっているかもしれない。今日はどうだったと子供に聞く親にも仕事や対人関係で意見をぶつからせたり、はたまた胸を高鳴らせた日だったかもしれない。
毎日毎日犬と歩いていると、つぶさに、細やかに気づいてしまう。あれみたいだ。テレビでやっているアハ体験。ゆっくり変化していく画像の変わった箇所を当てるやつ。毎年美しく咲くあの家の庭先の大きな紫陽花達も、去年とは一つ一つ違うのだ。
季節の変わり目のこの時間は毎回切なく苦しいのはなぜだろう。朝歩いていても同じように人々の生活を感じられるが特に気になったことはない。「終わる」ということが侘しいのかもしれない。
短い宵の時間に私はいつもいつも惑わされている。